上田市 緑に囲まれてセカンドライフを楽しむ家
「新たな故郷」づくりの始まりです
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《 新たな故郷 》
子供が小学生の頃 『お父さん、僕たちの故郷はどこ?』 と聞かれた一言が記憶の片隅に留まっていたのです。転勤族の我が家(引っ越した回数15回) 自分ではコントロ-ルできなかった勤務地とは違い、自らが選び準備できる人生の楽しみが残っていました。準備をするなら定年前の体が動くうちが良い、じっくり準備すれば思い切ったチャレンジもできると、初孫誕生の朗報をきっかけに「新たな故郷」づくりが始まりました。
先ずは土地探し、私たちの帰省先(私が福井県の片田舎、妻は加賀百万石の金沢市)と子供達が住む神奈川県からのアクセスを重視し、東信州に絞りました。信州といえば、上高地や軽井沢への観光、そして松本出身の友人から毎年贈っていただく波田のスイカ程度の知識しかない私たちが、初めて上田市を訪れたのは、NHK大河ドラマ「真田丸」の舞台である上田城(大河ドラマ館)に寄って行こうの一言でした。
その後、都内での東信州移住相談会に参加したりインタ-ネットで気になった物件をチェックしたりして、丸子地域での建築を決めました。当時、妻はいろいろと不安もあったと思いますが、緑に囲まれた環境の良さと47都道府県を制覇している私の直感を信じてくれました。
《 運命の出会い 》
移住相談会でお世話になった担当者さんの名刺から、上田市HPそして広告バナ-で「美し信州建設さん」を見つけ資料請求。送っていただいた【手の物語他】を読み直ぐにモデルハウスの見学を申し込みました。
懐かしい木の香りに優しい暖かさ、シンプルなデザイン 【陽なたの家】との出会いは驚きの連続で、多くの住宅展示場巡りで目が肥えていた、私たちのお家への価値観を良い意味で破壊してくれました。
2019年春 家づくりのスタ-トです。打合せ初日に自ら作成した文字設計書を持参し『テーマは終の棲家・サブテーマが子供達の癒しの場所です。』と中村さん高森さんに夢を語った事が昨日のように思い出されます。後のプラン打合せ時に中嶋社長から名刺を頂戴した時、不思議な出会いを感じていました。それは移住相談会で親身に対応して下さった担当者さんも [中嶋(・・)ダイスケ(・・・・)]さんだったのです。
《 細かな積み重ね 》
コロナ等の影響もあり着工が約1年遅れ2021年夏、長雨が続く中、奇跡的な晴れ間の地鎮祭から本格的な工事が始まりました。遠方(神奈川県在住)のため、工事の進捗は毎週アップされるHPの写真、そしてTV会議とメールでの打ち合わせスタイルの家づくりにも慣れてきた頃、近所の空き地に建築が始まった家が、あっという間に完成していくのに比べ、我が家はとても手間がかかっていることに驚きました。
月に数回ですが、現地に突然お邪魔しても職人さんは手を止め、作業内容や私たちの幼稚な質問にも気持ち良く対応していただきました。整理・整頓された綺麗な現場に感心するとともに、職人さん一人ひとりの丁寧な作業、細かな作業の積み重ねで良い家が出来上がると事を現場で実感していました。
《 大切な時間 》
引渡から約5か月が経ちました。しばらくは2拠点での生活です。 家づくりに費やした期間は約3年。コロナ禍での中断が自分たちの迷いなどを見直すクールダウンの時間となり、新たな生活を想像しながら勉強する充実した時間でした。
一番のお気に入りは、生活動線と収納の配置でストレスフリ-の日常を送れることです。 日々の生活の中で、自然に物が仕舞える収納をイメ-ジして本当に良かったと感じています。さらに効率よく収納できるよう工夫していますが、今はいろんな意味での断捨離との熱い闘いの日々を送っています。
家づくりを振り返って感じたことは、あれも欲しいこれもしたい思いがエスカレ-トしないよう、俯瞰して冷静になる時間が大切です。ゆっくりと考える時間、それに対応し新たな提案をして頂いた、美し信州建設さん本当にありがとうございました。
私たちの家づくりは終わりました。理想のお家が出来た以上に、いつも気持ちよく相談に乗ってくれるスタッフや、社風がある美し信州建設さんと出会えたことが本当に幸せです。この出会いご縁を大切に、いつでも繋がっている安心感を感じながら、この素敵なお家と共に第二章「新たな故郷」づくりの始まりです。(2022年8月)
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